昨日のブログでは
故郷下呂にある縄文遺跡「巨石群」について
いろいろ蘊蓄を語らせていただきました。
巨石群や洞窟遺跡には
“神々の指紋”と呼ばれるものや
人類の歴史文化の足跡に想いを馳せるものなど
観るだけでも想像やロマンが広がります。
価値や想いを
言葉だけで伝えきれない
もどかしさに悩んでいる人を救う。
「話す」「書く」だけじゃなく
「えがく」を加えた
伝える技術の新常識をつくる。
イラストプレゼン講師
かわしりみつはるです。
巨石・洞窟などの太古の遺跡といえば
棒人間も人類の歴史を刻んできた
斬っても切れない深い繋がりがあります。
文字や紙ができる遥か昔
有史以前から、
我々人類の祖先は
洞窟や岩壁の壁面に
絵を描き
情報を現代に残してくれています。
歴史の授業で登場してくる
有名なのは
フランス・ラスコー洞窟の壁画
(画像:Wikipediaより)
スペイン・アルタミラ洞窟の壁画
(画像:Wikipediaより)
ですね。
学生当時は
「どっちがフランスか?スペインか?」
みたいな事だけを一生懸命覚えるだけの
情報知識でしたが、
改めて触れてみると
文字もない高度な情報伝達もない時代に
人類は凄い表現技術を
すでに持ち合わせていたんだという事に
驚かされます!!
そんな洞窟壁画は、
もっとも古いものでは
5万~4万年前からはじまったといわれ
はじめはラスコーや
アルタミラに観られるように
牛や鹿などの
大型の野生動物が描かれました。
やがて時代と共に
手形を残したり、
抽象的な模様などが現れ
そして
人間を描写したものが
登場したそうです。
(リビア・タドラルトアカクスの岩絵)
(アルジェリア・タドラールト・アカークス岩絵遺跡)
人間の絵は
野生の動物を模した壁画よりも
抽象的で概略的に描かれており
まさに
「棒人間」は
人類が初めて手に入れた
人を表現する情報手段
だといえます。
「描く」は先史時代から、
「言葉を話す」や「文字を書く」が
発達していくよりも以前から
人類がすでに手に入れていた
コミュニケーション手段であり、
棒人間に対して親近感がわいたり
「描きやすい」「伝わりやすい」と
感じてもらえるのは
数万年にわたって
脈々と受け継がれてきた
DNAレベルでの感覚なんだと思います。
人類の歴史レベルで
壮大なお話になってますがw
言葉も文字も
まだ発達していなかった時代から
人はなぜ絵を描き
はじめたんでしょうか?
信仰のため・・・
祈願のため・・・
呪術のため・・・
記録のため・・・
遊びのため・・・
癒しのため・・・
自慢のため・・・
時代や場所によって
いろんな説や考え方が
あるんだと思いますが
僕は
自分たちの存在を
他者に伝え
“つながる”ために
人類は絵を描いてきた
と考えています。
洞窟壁画も
「私は(私たちは)ここにいるた!」
「こんな事をしてきた!」
「こんな物を観た!」
「こんなことを感じた!」
絵を通して、
自分たちの存在・活動・感情を
観た人に伝え
その先の共有・共感を求めて
はるかな時を超えて
今とつながっている
・・・なんて思うと
人間って素敵だなと思います。
太古の人類だけでなく
現代に生きる僕たちも
「自分は何を観ている?」
「自分は何をしている(何をしたい)?」
「自分は何を感じている?」
「今、自分自身なぜ存在してる?」
といった事を
丁寧に強く発信していく事で
周りとの共感か生まれ
自分の存在意義や
人と社会と“つながる”意味がが
明確になっていくはずです。
現代に生きる僕たちは
言葉や文字という
情報伝達手段を手にしていますが
自己の存在や心の動きを
誰でもより豊かに伝えられるのが
「絵を描くこと」です。
なかでも
「棒人間」を「描く」ことは、
普段は当たり前のこととして
気にもとめないでいる
自分自身の存在に対して、
意識的・自覚的になることができます。
太古の時代かから
自分の存在を示すことができた
「棒人間」
人類が初めて手にしたといって良い
このコミュニケーション手段を
今の時代でも
たくさんの方に使い倒してほしいです
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