先週に続いて、
ワークショップデザイナー(WSD)仲間が主催する
「哲学対話」のワークショップに参加してきました。
先週の記事👇
今回のテーマは、
何が「普通」かを
決めているのはだれ❓
シンプルすぎて
問いを投げられたときは・・・

↑こんな感じでしたがw
考え、対話し始めると
奥行きのある問いでした。
価値や想いを
言葉だけで伝えきれない
もどかしさに悩んでいる人を救う。
「話す」「書く」だけじゃなく
「えがく」を加えた
伝える技術の新常識をつくる。
イラストプレゼン講師
かわしりみつはるです。
普段から、僕たちは
この言葉を自然に使っています。
「普通、こうだよね。」
「それが普通でしょ。」
あまりにも日常に溶け込んでいて、
わざわざ立ち止まって考えることって、
ほとんどありません。
でも、
こうして「問い」として
差し出されると、
「あれ?」と
足を止める感じがありました。

その“普通”について
対話の中では、
いろんな視点が出てきました。
家庭の中で自然と身についた普通。
学校生活の中で覚えてきた普通。
宗教観や文化、社会のルールとしての普通。
そして、自分自身の経験からつくられてきた普通。
面白かったのは、同じ「普通」でも、
友人や家族の間ですらズレることがある、という話。

そして国や地域が変われば、
まったく違う。
時代が変われば、
あっさりひっくり返ることもある。

対話の中で、
印象に残った言葉があります。
「ルールは変えられるけど、
文化は変えにくいよね」
たしかに、制度や決まりごとは、
話し合いや合意で変えられます。
でも、無意識のうちに染みついた
価値観や感覚って、そう簡単には動かない。
だからこそ、
「普通」という言葉には、
ちょっとした圧力も
含まれているのかもしれません。
「普通」という基準を持ち出すときって、
もしかしたら、
自分の枠を守ろうとする
感覚なのかもしれない。
一方で、
「普通だよね」
と他人から言われたときに、
ちょっとイラッとするときもありますw
それは、
自分が枠を越えようとしてる
感覚なのかもしれないし、
あるいは、相手の枠に
押し込まれたように感じる
防御反応なのかもしれません。
普通でもあり、
特別でもありたい
と思ってる自分
その存在自体を認識したとき
なんかちょっと滑稽で、笑えて、
愛おしくなりましたね。

さらに視点を広げてみると、
今の自分たちの生活が
「普通ではない」人たちも、
世界にはたくさんいます。
働けること。
食べられること。
安全に眠れること。
それらもまた、
環境がつくり出した「普通」。
当たり前だと思っていることが、
当たり前ではない場所も確かにある。
そんな「普通」に感謝の
念が湧いてきたりもしました。

今回の哲学対話でも、
特になにか結論が出たわけではないですが
答えを急がず、
考えが広がったり、深まったり、
また元の問いに戻ってきたり。
その思考や感情の
行ったり来たりそのものが、
そこで交わされた
拙くも豊かな言葉が
とても心地よい時間でした。
「普通」を疑ってみることは、
他者を理解する入口であり、
同時に、自分自身の枠を
少し広げる入口でもある。
そんなことを、
静かに穏やかに感じた
哲学対話の時間でした。
| アートディレクター&イラスト思考®講師 河尻 光晴 (かわしりみつはる) |
|
| 住所 | 愛知県名古屋市 |
|---|---|
| 定休日 | 土・日・祝日 |