プレゼンや発表の現場で、
ミーティングなどで意見を聞くときに
最近ちょいちょい出くわすんですけど。
発表者の話が
なんだか辻褄が合わなかったり、
資料が見づらかったり、
説明がわかりにくかったり。
聞いてる側全体に、
ふわっとモヤモヤが漂う・・・
で、そこに誰かから質問が飛ぶと、
発表者さん本人も「あっ」という顔をして、
戸惑いながら、こう答えるんです。
「あ、そこはAIに聞いて作ったので……」
・・・・言っちゃったね。
価値や想いを
言葉だけで伝えきれない
もどかしさに悩んでいる人を救う。
「話す」「書く」だけじゃなく
「えがく」を加えた
伝える技術の新常識をつくる。
イラストプレゼン講師
かわしりみつはるです。
AIを使って作成した資料や原稿を
そのまま使っている人って、
「なんか変だな」と薄々思いながらも、
そのまま使ってしまう人。
あるいは、すっかり信じ切って、
丸投げ状態で使っている人。
のどちらかかなって思うんですが、
どちらにしても、
その“ほころび”が人前で露見したきに、
往々にして出てくるのが
「AIが作ったので」
という言葉。
思わず「私ではありません
」って
ぶっちゃけてる感じで・・・w
この一言。
うすうすそうだろうなと思っても
言われた側からすると、
けっこうガッカリしませんか?

でもそれって、
「AIが作った」こと自体が残念、
というわけじゃなくて、
さっきまで、その人の考えや意見だと思って、
真剣に耳を傾けていたのに、
不都合な部分を指摘されたとたん、
手のひらを返すように
AIに責任転嫁してる。
その有様に、
なんとも言えないさびしさを
感じてしまいます・・・
もちろん、ご本人に
そんなつもりはないのかもしれません。
でも、悪気のないまま、無意識のうちに
そういうことが起きている。
そこが、
ちょっと怖いなと思うんです。
自分で考える。
自分で感じる。
自分の感覚や感性を信じる。
こうした元々人間に備わっている力を、
便利さと引き換えに、知らないうちに
投げ出してしまっているんじゃないか——
そんな気がしてなりません。
AIは便利ですよね。
ただその一方で、
自分で考えることや、自分の感性を信じることも、
大切にしていたいなと思うんです。
そのために
僕がお伝えしているのが、
「描く」こと。

棒人間を描こうとすると、
頭の中のイメージを一度整理して、
シンプルな形に落とし込む——
そんなプロセスが自然と起こります。
その中で、
イメージと感情がつながりながら
「自分は今、何を感じているんだろう」と、
内側に問いかけることになる。
人の脳は、何かに集中しているときよりも、
ぼーっと手を動かしているときのほうが、
バラバラだった考えが整理され、
新しいアイデアが生まれやすい
と言われています。
「デフォルトモードネットワーク(DMN)」
と呼ばれる働きです。散
歩やお風呂でふとひらめくのも、これですね。
そして、そもそも人は、
言葉を持つよりもずっと前から、
「描く」という表現方法を手にしていました。
ラスコーやアルタミラの洞窟壁画が今も残っているように、
描くことは、人類が太古より備えてきた、最も古い営みのひとつ。
だからこそ僕は、
この「描く」という行為を、
大切にしたいと思っています。
丸を描いて、線を伸ばして、
ただ手を動かしているうちに、
バラバラだった感覚がふっとつながって、
自分だけの答えが見えてくる。
手を動かすことそのものが、
自分の感覚を確かめる時間になります。

思えばAIも、
最初は「どう使えばいいんだろう」と
戸惑う人がほとんどでした。
それが今では、空気を吸うように、
みんなが当たり前に使っている。
ひとつの日常になったんですよね。
それと同じように、
何かを考えるとき、まず一本、線を引いてみる。
そんなささやかな行為も、
いつか誰かの日常の営みになってくれたら——
僕はそう願っています。
自分で感じて、自分で考える力は、
案外そんな、鉛筆を握る手のひらの感触や、
紙の上をペン先が走るあの音——
そんな、ささやかな手元から
静かに戻ってくるのかもしれませんね。

| アートディレクター&イラスト思考®講師 河尻 光晴 (かわしりみつはる) |
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| 住所 | 愛知県名古屋市 |
|---|---|
| 定休日 | 土・日・祝日 |