価値や想いを
言葉だけで伝えきれない
もどかしさに悩んでいる人を救う。
「話す」「書く」だけじゃなく
「えがく」を加えた
伝える技術の新常識をつくる。
イラストプレゼン講師
かわしりみつはるです。
今日は戦後76年目の終戦記念日
真珠湾攻撃の1941年から数えれば
80年に当たりますね。
中日新聞の日曜版では
太平洋戦争における戦没者について
図解にてわかりやすく伝えてくれいて、
朝から見入ってしまい
海外戦没者は240万人という!
戦争末期の犠牲者数や
各地の惨状を改めて目の当たりにし
胸が締めつけられます。
そして
半数近くは遺骨も
現地に取り残されたまま
という事実も衝撃で
令和の時代になっても、
まだ「戦後」が終わっておらず、
だんだんと少なくなっている
当時を知る方々の声に
もっと耳を傾ける必要が
あるんじゃないかと強く感じています。
このブログの
当日にはなりますが
地元のCBCテレビでは
終戦を知らずにグアム島で28年間潜伏していた
横井正一さんの物語を
現在93歳の奥様の視点で語られる
ドキュメンタリーが放送されるので
注目したいと思います。
なんで日本が
こんな悲惨な戦争に
突入していったのか?
世の中には
いろんな専門家の方が
解説をされているので
勉強しようと思えば
いろんな考え方や解釈を
学ぶことができますが、
ザックリとですが、
歴史苦手~とか、昭和史初心者の方々に
棒人間で「太平洋戦争への経緯」を
僕なりに触りの触りの部分を
再現してみたいとおもいます。
太平洋戦争が始まる前に
日本はすでに中国と戦争をしていて
泥沼化していました。
明治維新以降、日本は
世界に追いつけで頑張ってきて
日清戦争、日露戦争で大金星を挙げて
大陸進出への足がかりを築きました。
その後中国で得られる経済的利益と、
対ソ連(現ロシア)防衛という
二つの理由を中心として、
大陸進出を積極的に行っていくのですが
当然、現地の中国とは衝突するわけで、
幕末以降、交流や支援をしてきた
諸外国も日本の動きには良くは思っていませんでした。
さらには、
長引く中国との戦争(日中戦争)ための
石油資源を確保のために
日本は東南アジア方面への進出も乗り出します。
コレに対して諸外国が大反発!
日本に対しての経済制裁が始まります。
ちょうど80年前の1941年8月
日本に対しての石油輸出が全面禁止となりました。
この時点で、
日本の石油備蓄は2年~1年半ほど
だったようなので、
かなり締め付けられた状態です。
禁輸解除の条件は
「中国大陸からの撤退」
↑こうはなっていませんが。
これを選択した場合
日本にとっては国力や威信が著しく低下する
苦渋の決断です。
やはり先人たちの築いてきたものを
当時のリーダーは自分の代で
手放すことは選択しませんでした。
後の歴史を知っている
僕らからすれば、
無理な事をしないで、
身を削ってでも、
また将来の可能性を探り再起を図れば、
別の歴史もあったんじゃないか
とも思いますが・・・・
難しいところですね。
石油禁輸になってから、
日本はすぐには抗戦という事にはならず
4ヶ月以上も石油禁輸解除の交渉を
試みていたようでずが、
結局のところ、
ギリギリ状態でも
なんとかロシアに勝利した
日露戦争にあやかり
戦争を続けるなかで
出来る限り有利な形で終戦を
迎えようと目論み開戦へ
そして絶望的な戦争へと突入していきます。
開戦も日本から仕掛けたというより
仕掛けさせられたという説も
最近は色濃いですね。
この時期に多くの人が
想いにはせる大切なお話ですが
「暗い」「難しい」と感じて
なかなか取っ付けない方に
ちょっとでも身近に
感じていただければと想い
太平洋戦争の経緯の一部を
棒人間で表現してみました。
悲惨・かわいそうだけでなく
ちょっとでも、歴史に目を向け
これからの世界を覗くきっかけに
なれば幸いです。
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アートディレクター&イラスト思考®講師 河尻 光晴 (かわしりみつはる) |
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