本日12月26日は、
東照大権現様
徳川家康公の生誕日(旧暦)
と言われてます。
(岡崎城公園の徳川家康公象)
大河ドラマ『どうする家康』も終わり
家康ブームも終了かもしれませんが・・・w
時代を越えたリーダーシップで
その後の日本の形、日本人の気質にも
大きな影響を与えた、
重要な人物であることは変わりません。
価値や想いを
言葉だけで伝えきれない
もどかしさに悩んでいる人を救う。
「話す」「書く」だけじゃなく
「えがく」を加えた
伝える技術の新常識をつくる。
イラストプレゼン講師
かわしりみつはるです。
徳川家康の誕生日については諸説があり、
定説は、天文11年(1542年)
12月26日寅の刻(午前4時頃)に生まれたとされています。
なので、
『どうする家康』で松本潤さん演じる家康が
「わしは寅の年、寅の日、寅の刻に生まれた武神の生まれ変わりじゃ! 」
なんていうセリフもありました。
しかしながらドラマでは
それは家康の母@於大の方の捏造で
実は年をまたいだ「うさぎ年」生まれだった・・・
またその事実を
家康が晩年になって初めて知り戸惑うという、
ちょっとニヤッとする演出が印象的でしたね。
これは、単なる脚色というわけではなく
最近識者の中で浮上してきた「家康うさぎ年説」
を元にした小ネタエピソードになっていて、
面白かったですね。
他にも『どうする家康』では
印象的な小ネタアイテムとして
登場していたのが
『鉛筆』です。
(画像:NHKオンデマンド『どうする家康』より)
「鉛筆」介して徳川家と豊臣家の
対立構図がさらに鮮明になるという演出だったり
(画像:NHKオンデマンド『どうする家康』より)
家康が鉛筆で大阪城の図面を引くシーンも描かれました。
これはゾクゾクしましたね。
これまでの通説や一般的な印象として
アグレッシブな織田信長、ド派手な豊臣秀吉
とくらべると
質素、耐え忍ぶ人、まじめ、健康志向とまぁ
地味めなイメージの家康でしたが、
最近の研究から、多趣味で好奇心旺盛。
実は世界から珍しいものをたくさん輸入し
貿易による天下泰平を目指したとも言われています。
その中の一つとして『鉛筆』は
家康のヨーロッパ貿易の象徴のようなもので
家康公は日本人で初めて鉛筆使った人物だそうです。
静岡県の久能山東照宮博物館には
実際に家康が使った鉛筆が
“日本で最古の鉛筆”として収蔵されています。
こういうモノが残っているというのは
凄いですね!実際に見てみたくなります。
この鉛筆で家康が何を描いたのか
残念ながら記録にはありませんが、
文字だけじゃなく、
ドラマのように図面や
イラストも描いてたんじゃ
ないかと想像が膨らみますね。
鉛筆と家康の関係を知ると
個人的にもう一つ
想いを馳せるたくなるのが
家康に絵心は
あったのか?
という問いですw
戦国武将の趣味といえば
「茶道」「香道」「和歌」「鷹狩」といった
高貴な嗜みが知られるところですが、
どうも、
家康公は絵を描く事も
お好きだったようなんですよ。
こんな絵があります。
徳川家康直筆とされる
『大黒天図』
なんだかとっても気軽に
サクッと描いたような筆跡で
とても400年以上も
前に描いたものには見えないほど
ユニークさを感じる絵です。
大黒天と言えば、
家康が関ケ原の戦いなどで
着用していた甲冑
「伊予札黒糸威胴丸具足」
2000年以降の大河ドラマでは
家康は必ずこの甲冑を着ています。
で、この兜の形状が
「七福神」のひとり「大黒天」をモチーフにしていて
徳川家康自らデザインしたとも
伝えられているんです。
だとしたら、
大黒天のイラストも
家康が描いたものとして
信ぴょう性が高いですよね
天下人は自筆絵がお好き
紙と鉛筆(筆)があれば、
時間や場所を選ばず、
自由な表現を可能にします。
家康もまた、
ふだんから何気に筆をとって、
「描く」ことで、
自らの感性を表現し
新時代を築く創造性を広げて
いたのかもしれません。
鉛筆というシンプルな道具を通じて、
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